西頚城(新潟県) 権現岳(1104m)、トッケ峰(1289m)、鉾ヶ岳 (1316.3m)  2011年6月4日

所要時間
西飛山の林道編  5:45 林道発−−6:00 倒木−−6:07 林道終点(戻る)−−6:11 踏跡に入る−−6:16 戻る−−6:35 分岐する林道の終点−−6:42 車

7:17 柵口登山口−−8:01 胎内洞 8:15 白山権現−−8:34 権現岳 8:40−−9:14 トッケ峰−−9:49 鉾ヶ岳 10:21−−10:53 トッケ峰 10:56−−11:24 権現岳 11:50−−12:11 白山権現−−12:42 柵口登山口

概要
 柵口登山口より往復。当初は地形図で最短の西飛山から標高600m付近まで延びる車道から登ろうとしたが、廃道の跡すらない薮尾根で断念し、正規の登山道から登った。ただし、県道からの分岐には標識があるが、その後は標識が少なく登山口に到着するまでに地図を読む必要があった。登山口直近の駐車場は2台くらいしか置けないが、100mほど手前に5,6台駐車可能で水道もある。

 権現岳までの登山道は1級の整備状況。露岩混じりの急な尾根で、フィックスロープ、鎖も登場、濡れたときに歩くとこれらが無いと上り下りできない。胎内めぐりの短い洞窟もあり、単純な尾根でなく変化があって楽しめる。山頂はロボット雨量計?跡があり展望が良い。

 権現岳から鉾ヶ岳までの道は2段階くらいグレードが落ち、両側から木がはみ出しているが道はしっかりしている。状態が悪いのは最初の300m程度で、その後は邪魔な枝は少なくなる。128?m峰()を越えると残雪が乗るようになるが、半端な量で雪が半分消えて夏道を歩く箇所では木が横に寝て通せんぼしているところも。もっと雪が残っていれば快適に歩けるだろう。山頂は小屋があり、周囲は低い木が立つが、南半分くらいは展望があり、火打、焼山、それに白馬〜朝日岳が見えた。


 東日本大震災の影響で、高速道路の土日\1000割引(東京だと近郊区間があるため\1000にはならないが)は6月20日で打ち切られることが決まった。どうせならその前に遠くに出かけてしまうがお得であり、今週は地図を見ながら考えて糸魚川東部の鉾ヶ岳に決めた。このエリアはほとんど足を向けたことが無く通過してばかりだったが、もう残雪はアルプス級しか利用できない時期であり、藪山に行くメリットはもう無いので登山道のある山ならどこでもいいとなれば候補となりえよう。標高が低いので暑そうだし虫もいそうだが、我慢しよう。関越道→上信越道→北陸道と走って能生ICで降りることになる。距離は350kmを超えそうで、普通に走っても能生ICに到着する頃には日付が変わりそうで、そのまま登山口まで行って仮眠しよう。

 コースであるが近くの権現岳を含めるとなると東側から登るのがいい。周遊しようとすると車に戻るのが大変なので残念だが往復とせざるを得ない。一般的には柵口コースが使われるようだが、地形図を見ると西飛山集落から標高630mまで車道が描かれ、そこで尾根上の破線と合流している。これが使えれば標高は稼げるし、権現岳と鉾ヶ岳中間付近に出ることができ、権現岳への急な登りをパスできて安全性も向上できるだろう。問題はこの破線が実際に存在するかどうかで、ちょっとネットで検索しても発見できなかった。ただ、全く道が無いのに破線があるというのも考えにくく、踏跡くらいはあるだろうと予想した。もし道が無ければスタートが遅くはなるが柵口に移動して登ればいい。

 夕方の東京は混雑し、練馬ICまで1時間近くかかってしまった。あとは延々と走るだけ。北陸道に入り能生IC到着は0時15分前くらいになりそうで、名立谷浜PAでパッキングがてら時間調整していたところ、デジカメを忘れたことが発覚。残念だが今回は写真無しだ。

 再び走り出して0時5分に高速を降りて南下。地形図で西飛山の林道分岐を探す。少してこずったがどうにか発見、集落を過ぎると最初は緩やかに水田地帯を登り、傾斜地に入るとウネウネと高度を上げる。地形図から読み取れる道の取り方であり、ルートは間違っていないと確信できた。標高545m付近で道が分岐するところで左の道を進むが、こちらは道路両側から木がはみ出して車を擦るようになり、いかにも入る車が少ないようだ。このまま行ってもUターンできそうになくバックで戻り、分岐でUターンして車が止められる場所まで下った。その標高は約460m、結構損したな。まだ林道終点に踏跡があるか不明なので安心できないが、これは朝明るくなってから確認するしかないので酒を飲んで寝た。

 睡眠時間が短く、明るくなってからもしばらく横になっていると車が1台上がっていった。もしかしたら登山者だろうか。だとしたら破線が存在することになるので心強い。ザックを背負い、今シーズン初めて麦わら帽子を被って出発。木がはみ出した林道を上がると早朝上がっていったと思われる軽自動車が路肩に止まっており、その先に倒木があって車はここまでだった。そこは609.1m三角点のすぐ南側だった。林道は右に曲がって僅かに下りとなると未舗装となり、左に曲がると廃林道化した。でも僅かに踏跡があるようなで、まだ希望は持てるか。しかし進むにつれて籔っぽさは濃くなり、林道終点はスパっと切れ落ちた急斜面であり、右は法面、左は籔で踏跡は全く見えない。くそ〜、地形図に騙されたか。林道を戻りながらどこか踏跡がないか注意深く探しながら歩くと、標高620m等高線の水平区間で赤テープと薄い踏跡を発見、こりゃ行けるか?と期待して入るがこれも廃林道で、やがて踏跡は籔に吸い込まれて消えた。残念ながらこの尾根には踏跡、登山道は無いことが確定した。あとは柵口から上がって権現岳〜鉾ヶ岳を結ぶ稜線から下る踏跡があるかどうかを確認するか。

 林道を逆戻りし、林道分岐で右に上がる道に入ってどこに行くのか確認してみた。もしかしたらこちらから踏跡があるかもしれないとの読みもあったがあまり期待していなかった。こっちの林道は等高線に沿ってトラバースするように続いており、道は整備されているようではみ出した枝等は皆無であった。林道終点は滝で、周囲に踏跡は無かった。

 車に戻って柵口を目指す。県道からの分岐には「権現岳」の案内標識があったので見過ごすことはなく、左斜めに上がっていく細い道に入る。しかしこの先がいただけなかった。入口に案内があるのでその先も標識が続くと考えたが、最初の左折地点には標識は無く直進してしまった。道なりに進んでいくと最後は人家の先で軽トラ専用のような細い道に変わってしまい、どう考えても登山者が運転する車が入っていくような道ではなかった。ここで地形図を広げ、登山口へ至る車道は県道から分岐してすぐに左折する必要があることが判明、Uターンして湯沢川を渡って右に入り、道なりに進むとT字路登場、ここには案内があり登山口は右だった。あとは広い道を上がっていくととんがり屋根の避難小屋らしき建物が登場、右に工事中の看板が出た未舗装の道が分岐するが舗装道路はまだ続いていた。そろそろ登山口が近いようで速度を落として舗装道を進んだが、明らかに尾根末端から外れて南に上がっている。さっきの未舗装道路が登山口への道らしくこれまたUターン、僅かに入ったところで出発準備中の男女がおり、今度は間違いなく登山口だ。なんか今回はここまでの道のりが長かったなぁ。

 本当の登山口はそのさらに奥にあるが、ここは車を置けるのは2台程度で、私が車を置いた場所に止めるのがいいだろう。登山口には立派な標識があるかと思いきや、倒れた標識があるだけで意外に質素だ。あの県道の案内標識とは比較にならない。でも登山道はちゃんとしており継続的に整備されているようだ。今日は朝から気温は高いし出だしから標高は低いしで、今シーズン初めて大汗をかかされそうだ。ここ数カ月はずっと残雪の山だったしなぁ。これからは寒さではなく暑さに体を慣らさないと。僅かに残雪を横切った個所もあったがほぼ無雪だった。

 傾斜がきつくなるとロープが現れるが、これがまた古びたもので体重をかけると切れるのではと心配になる代物だ。たぶん今年は交換されるだろうが、まだ本格的な山シーズン前でそのままなのだろう。露岩が現れると鎖や針金も出現、できるだけ自然地形や樹木を利用して人工物の手助けを借りずに登るようにしたが、濡れた石や湿った土の段差を登るところだけは大いに助けられた。そんなところなんか「オバサン渋滞」が発生しそうだ。これだけ急な斜面や尾根なので周囲には全く雪は見られない。

 やがて巨大な露岩が出現、重なった岩の隙間の洞窟のような空間を潜りぬける。ここが胎内洞だ。ロープが流してあってルートが分かるようになっているが、中は相当暗い場所いがあって目が慣れるまでは岩の状態が見えない。ライトを使ってもよさそうな場所だが、どうにか使わずに切り抜けた。岩の中だけは涼しくて快適だった。

 さらに露岩混じりの尾根や斜面を登り続けると、樹林が切れて展望が開けた細い稜線に出た。ここには白山権現の標識が立っており、大きな露岩の先には祠があった。どうやらこの先は急な区間は無いようで権現山までなだらかそうな尾根が続いているのが見えた。

 再び樹林を登ると開けた空間に飛び出した。ここが権現岳だった。山頂脇には金網に囲まれたロボット雨量計か何かのアンテナが付いていたはずの電柱とキュービクル。今は避雷針しかついていない。ここまできてやっと鉾ヶ岳の姿が見え、1289m峰を介して意外に近い。稜線には少しだけ雪が残っており、そこを歩ける区間もあるだろうか。もう残雪期も末期で、この標高では残雪があるのは稜線直下と谷筋だけだった。でも、南を見ると火打山から焼山にかけてがまだ白い姿を見せていた。北斜面でこれだから南側はもっと雪があるに違いない。あそこなら残雪を楽しめるのは間違いないがもう登ってしまったしなぁ。権現岳の標高は1100mちょっとで高いとは言えないが、それでも登山口より涼しく、体を休めた状態で風が吹くと快適だった。先週までは念のため防寒着をザックに入れたが、今回は長袖シャツだけだったが全く問題なかった。これからのシーズンはこれが続くか。

 さあ、鉾ヶ岳を往復するか。これまで快適な道だったので同様の道が続くのかと思いきや、権現岳より先は道が細くなり、積雪で東向きに曲がった木が登山道上を覆うようになった。もし朝露や雨で葉が濡れていたら突っ込むのはイヤな場所だ。道自体はしっかりしているので刈り払えば1級の登山道になるのだが。木が邪魔な区間は200m程度続き、それが終わると道は細く体に触れる枝葉はあるが邪魔なものは無くなってずいぶん歩きやすくなった。

 背の低い細い樹林に覆われた緩やかな尾根を登り、標高1210m峰付近で地形図で南東に分岐する破線が合流するはずの付近に出たが、それらしき道や踏跡は全く見られず、もし以前に道があったとしたら廃道化してから相当長期間経過しているか、最初から道が無いと思えた。私の他に騙される人がいるかな。道が無い尾根上は根曲がり木に覆われているので無雪期に登るのは困難だろう。

 地形図に表現されていないが尾根上に露岩の小ピークがあり、下りは絶壁で進めないので北側を巻いて鞍部に出る。1289m峰(トッケ峰)への最後の急な登りにかかると鎖場が登場、でもいい具合に凸凹があって足がかりにちょうどいいし、両側の根曲がり灌木がフィックスロープ代わりになるので鎖やロープに頼らなくても通過できた。

 いよいよ山頂というところで左側(南側)に残雪が登場し、1289m峰(トッケ峰)山頂に到着した。南に延びる尾根上には広い残雪があり、この暑い時期は雪の上で休憩できてよさそうだが、まだ休むほどではないので通過する。下りにかかるとこれまた残雪が登場、尾根上は消えている部分が多く夏道が出ているが、尾根東側直下は雪庇の溶け残りが続いて下りだったら雪の上を歩く方が楽なのでできるだけ雪の上を選んで歩いた。半端に雪が残ったところでは夏道は雪の下だが雪が割れて寝ていた木が起きだしてしまい、枝の間をすり抜けて通過する必要があった。もっと雪があるか、逆に雪が減ってからの方が歩きやすいだろう。残雪の上にはカモシカの足跡はあったが人間の足跡は無かった。

 鞍部付近も広く残雪に覆われて快適に歩くことができ、登りにかかってから少しだけ夏道を歩いたが、再び広い雪田に出て雪の上を歩いた。帰りの時にこの夏道の入口が分かりにくいが、先人の目印がいくつも残されており大いに役に立った。残雪は山頂付近まで残っており、最後は夏道を少し歩いて鉾ヶ岳に到着した。

 山頂の三角点はいつもより一回り大きく1等三角点であった。東側には小屋。西側の展望が開け、火打、焼山、雨飾山から、後立山の朝日岳〜白馬岳付近が見えていた。空気の透明度が悪くコントラストはイマイチ。まあ、鉾ヶ岳は標高が低く、もし空気の透明度が良くても西側はこれ以上遠くの山は見えないだろうな。北や東側は樹林で展望は無かった。山頂でしばし休憩。虫がブンブン飛んでいたが刺す虫はいなかったので虫よけを使う必要は無かった。休憩中に他に登山者が上がってくることはなかった。

 さて、戻ることにしよう。他に登山者がやってくることを期待したが帰路も無人だった。権現岳に戻ると単独男性が休憩中。こちらも静かだ。鉾ヶ岳往復で3時間程度かかっているので、登山口で会った男女はもう下山したのだろう。休憩していた男性は鉾ヶ岳に向かっていった。

 こちらは下山開始。もう登ってくる人はいないと思いきや、パラパラと登山者とすれ違った。朝よりもっと暑いよなぁ。今年初めて首に濡れタオルを巻いて歩いたが、これからは団扇など風を発生させるものも必要か。涼しく登るには登る山の標高も上げないとなぁ。下りは登りよりもロープや鎖、針金のお世話になった。

 登山口に戻ると、朝出会った男女(夫婦)と再会。富山県高岡市からやってきたとのことで、東京より近いとは言え、道のりで100kmはあるだろう。ご苦労様。夫婦は先に帰途につき、こちらは着替えて駐車場にある蛇口(沢水?)でタオルの汗を洗い流して体を拭いてしばし昼寝。その後、柵口温泉に移動して本格的に汗を洗い流してすっきりした。

 

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